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嘘とサンクション(制裁)と日本人の民度

民事訴訟は嘘つき放題。」

私が司法研修所の民事裁判の講義で聞いた言葉です。

司法研修所とは司法試験の合格者が弁護士、裁判官、検察官になるために研修です。

そこで民事裁判と刑事裁判、そして法曹三者のそれぞれの仕事の基礎を学ぶのです。

 

そう、民事裁判の教官(裁判官)が言うとおり、日本の民事裁判では嘘つき放題で、原告と被告が好き放題に嘘を言い合う姿が常態化しています。

弁護士をしていると、よくもまあ平気で嘘を言えるよなと思うこともありますし、弁護士倫理を理解していない弁護士だと、勝つためにクライアントに嘘を言うよう指示する者もいるくらいです。

もちろん弁護士の中には清廉潔白を第一主義とし、たとえクライアントに有利になるものであっても嘘は絶対に許さない、という人もいるかも知れません。

が、私はそういう人は見たことがありませんし、私も含めた弁護士は嘘に非常に寛容(鈍感)だと思います。 

 

なぜここまで民事裁判で嘘が蔓延しているのか。

それは、①日本の民事裁判において、虚偽に対するサンクションが制度として全く運用されていないこと、そして、②日本人の民度が全体として低くなっているからだと思います。

 

①については、日本の民事裁判制度における制度・運用の欠陥です。

嘘とは法律上は「偽証」といい、裁判所の証言で嘘を述べると、訴訟当事者(原告・被告)の場合は罰金10万円以下の科料、証人が嘘を述べた場合には偽証罪(3ヶ月以上10年以下の懲役)が科せられる可能性があります。

当事者と証人におけるサンクションの違いは、当事者は自分に有利になるために証言を変えることもそれなりにやむを得ないと考えられるからです。一方で証人は一般的には裁判に利害関係がないので、きちんと事実をありのままに話さなければならないというわけです。

たとえば、最近でいえば籠池理事長が国会での証人喚問の際に、「刑事訴追を受ける恐れがあるから証言を拒否する。」と証言することが許されるのと同じです。自分が不利になるおそれがある場合や自分が有利になる場合には、正直な証言は期待できないであろうという趣旨に基づいているのです。

 

しかし、科料にせよ偽証罪にせよ、「民事裁判で」実際に嘘をついても、これらのサンクションが実際に機能することはほとんどありません。

法律で定められたサンクションが機能しないから、証言者は自分に有利になるよう(不利にならないよう)に容易に嘘をつくのです。

 

次に、日本人の民度の低下があると思います。

武士道(新渡戸稲造著)に記されているように、昔の日本人は正直を美徳のひとつとし、嘘や裏切りはやってはいけないことという以上に格好悪いものとして考えていました。昔の本を読めば、特定の宗教への信仰がなくとも、民族全体の人格や道徳観は高かったであろうことがうかがわれます。

 

しかし、今の日本人のうち、どれほどが嘘がいけないという倫理観を持っているでしょうか?

政治家や官僚は平気で嘘をつきますし、企業の隠蔽や不祥事は日常茶飯事になっています。

子どもの模範となるべき大人が当然のように嘘をついていれば、その教育を受ける子どもがどのように育つかは想像に難くありません。

嘘に対する違和感がないから、お金のために平気で嘘をつけるのです。

 

裁判の公正さを保ち、今の嘘つき放題の民事裁判を是正しようとするなら、②日本人の民度の改善を期待することはできないでしょうから、まずは①嘘に対するサンクションを実効性のあるものにしていくことが必要だと思います。

 

※なお、偽証罪が実際に刑事裁判になるのは、刑事裁判において「検察側の証人」が嘘をついた場合です。

日本の刑事裁判において偽証罪を犯罪として起訴するかどうかは検察官の専権です。

そのため、検察官は「現実的な」偽証罪のプレッシャーのもとで証人に証言をさせるのです。

民事裁判では「現実的な」偽証罪のプレッシャーがないから嘘つき放題なのです。

他方で、本来、被告人に有利な証言をするべき「弁護側の証人」が被告人に不利となる偽証をした場合に罰せられることはまずありません。被告人に不利な偽証ということは、検察側に有利になるからです。

このように、刑事裁判においても偽証罪が検察に恣意的に運用されていることも、民事裁判だけでなく日本の裁判制度全体の欠陥として問題視されなければならないでしょう。