【チャタレー事件】暇な女子大生のツイートは刑法175条に違反しないのか?

【事件の内容】

イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレー夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、版元の小山書店社長小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件です。この著作には露骨な性描写が含まれていました。翻訳者の伊藤整と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、刑法第175条(わいせつ物頒布等罪)で起訴されました。

この裁判では、わいせつ物頒布等を禁じた刑法175条が表現の自由を保障した憲法21条に違反するかどうかが争われたのです。

 

※参考条文

刑法175条:わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

 

判例最高裁昭和32年3月13日判決)】

第一審(東京地裁)は出版社社長を罰金刑の有罪、翻訳者を無罪としましたが、控訴審(東京高裁)は出版社社長のみならず、翻訳者も罰金刑の有罪としました。

これを受けて、被告両名が最高裁に上告し、刑法175条は表現の自由を保障した憲法21条に違反するとして無罪を争いました。

これに対して最高裁は、

性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。

として上告を棄却しました。

 

【オワ弁判例解説】

わいせつ文書を頒布すると、刑法175条で処罰されることになります。

わいせつな表現も憲法で保障されるのですから、刑法で処罰するのは表現の自由の侵害ではないか、という論点に、最高裁は性的秩序を守り社会の健全な性道徳を維持するために処罰することは憲法には違反しない、と判断したのです。

みんなが「ちんこ、まんこ、せっくす」と連呼する社会は健全ではないから、これを禁止する刑法175条も表現の自由には違反しない、というわけです。

しかし、いまこのタブーに挑戦している強者がツイッターに出現しています。

twitter.com

「膣ドカタ」、「ちんぽの食べログ」、「若いまんこで経済をまわせ」

…自己紹介文から既にわいせつ表現満載ですw

そのツイート内容は「フェラ」「まんこ」「膣キュン」などわいせつ表現のオンパレード。真面目な最高裁の裁判官は現代の女子大生の貞操観念崩壊に絶望でしょう。

そんな彼女、ツイッターでは「暇女」と呼ばれて人気を博し、既にフォロワーは10万人を超えています。唯一、セックスのことを「優勝」と表現している点は、彼女なりの社会への配慮なのでしょうかw

 

それでは、暇女のツイッターは刑法175条に違反しないのか?

弁護士として真面目な回答をすると、刑法175条に違反している可能性はあると思います。

暇女のツイートは性器を露骨に表現してエリート達との性行為の様子をつづっている上、さすが食べログだけありその量もハンパありません。フォロワーには未成年の若者も多いようであり、健全な性道徳教育を害するという点で社会に与える悪影響も少なくないでしょう。そしてツイッターによるツイートも「電気通信の送信によるわいせつな電磁的記録の頒布」に該当します。

 

しかし、暇女のツイッターにおけるエリートちんぽへの執着は、単にわいせつ表現を超えたすがすがしさと飽くなき探求心を感じます。

そう、そこにはエリートちんぽへの信仰すら感じられるのです。

古来より、我が日本では多くの性器崇拝の慣習がありました。

生殖器崇拝 - Wikipedia

そして、暇女のエリートちんぽへの執着は、もはやエリート性器崇拝の領域に達していると言っても過言ではありません。

信教の自由憲法20条で保障された基本的人権の一つです。

もし暇女のツイッターが刑法175条で禁圧されるとすれば、表現の自由のみならずエリート性器崇拝という信教の自由まで侵害されることになります。

仮に暇女が刑法175条で起訴された場合、次こそ最高裁違憲判断を勝ち取ることができるのではないかと思いますw

 

というわけで、暇女にはこれまで通り食べログを続けていってほしいと願っています。

 

【まとめ】

判例の重要度:★★(チャタレー事件は法学部学生であれば必ず読み込んだ卑猥判例

暇女の信仰心:★★★★★