刑罰の意味。【冨田真由さんの事件で懲役14年の判決は軽すぎるのか?】

先日、冨田真由さんの殺人未遂に対する裁判員裁判の判決が言い渡されました。

 

「懲役14年(検察求刑17年)。」

 

ネットをはじめとして、世間では刑罰が軽すぎるという論調が主流のようです。

 

一方で、検察求刑が17年であることも含め、刑事事件を手がける弁護士としては殺人未遂の刑罰としては重い印象を受けるのが一般的だと思います。

刑事事件の量刑(有罪を前提として刑罰を決めること)は、他の類似事件との公平性が極めて重視されます。

弁護士という職業柄、どうしても過去の同種事件(被害者一名の殺人未遂事件)と比べてしまいますが、懲役14年というのは殺人既遂の量刑としてもおかしくないからです。

そして、殺人未遂と殺人既遂では、その量刑に歴然とした差があるのです。

 

この事件は、アイドル活動をしていた女子大生(冨田さん)が一方的に好意を寄せていた男から34箇所も刃物で刺されたが一命を取り留めた、というものです。

冨田さんには今も顔にも体にも傷が残り、もちろん心にも決して消えることのない傷が残ったのでしょう。

何の落ち度もない若い女の子をめった刺しにするという凶行は、誰がどうみても許されるものではありません。

法廷で冨田さんは、加害者はまた同じことをすると思う、二度と刑務所から出てほしくないと述べていたようですが、被害者として当然の気持ちだと思います。そして、この事件を報道で知ったほとんどの方も、加害者は重く罰せられなければならないと考えるのではないでしょうか。

それが冨田さんに一生終えない傷を負わせた殺人未遂(たとえ未遂であるにせよ)に対する刑罰として、「懲役14年」は軽すぎる、という判決批判につながるのだと思います。

 

では懲役14年は軽いのか?

 

実際に起きた犯罪に対して科せられる刑罰が「軽いか重いか」を評価することは、非常に難しい問題です。

なぜなら、刑罰とはある程度の幅のある選択肢からそれぞれの犯罪に科せられる相対的なものであり、時代背景(過去に比べて重罰化傾向にあると言われます。)、判断する者(個々の裁判官によって考えは変わりますし、裁判員裁判になれば一般人の意見も取り入れられることになります)、報道のされ方などによって犯罪そのものに対する評価も大きく変わってくるからです。

 

被害者の立場に立ってみれば無期懲役、もっといえば死刑でもおかしくない、という気持ちになるでしょう(インターネットでも加害者を死刑にしろ、という過激な書き込みも目立ちました)。そこからすれば、懲役14年というのは軽い、という意見になるのも無理はありません。

 

そもそも、刑罰はなぜ科せられるのでしょうか?

 

そこには大きく分けて2つの考え方があります。

 

一つは応報刑。犯罪を犯した以上、それに応じた報いを受けるべきという考え方です。「目には目を、歯には歯を。」というハンムラビ法典が有名です。

もう一つは目的刑。刑罰とは、被害者の復讐(応報刑論)ではなく、社会において犯罪を抑止する目的から科せられる、という考え方です。この考え方はさらに、一般予防論(刑罰を科すことで国民一般に威嚇を与え、犯罪を予防する)と、特別予防論(犯罪者自身に刑罰を科すことで犯罪者を強制し、また犯罪者を社会から隔離することでその犯罪を抑止する)に分かれます。

現在の刑法学では、刑罰は以上の2つの役割を担っている、という見解が主流です。

 

そして、一般の方にとって馴染みが深いのは応報刑だと思います。特に日本人は勧善懲悪、因果応報といった考えが好きな人が多いように思います。

しかし、応報刑論を徹底すると、今回の冨田さんの事件だと、加害者自身をめった刺しにする刑罰を科すという刑罰にもつながりません。近代国家においてそのような刑罰を科すことは現実的ではありませんし、そのような刑罰は多くの国民にとって支持しがたいのではないでしょうか。だからといって重い懲役刑にすればよいというものでもありません。

 

一方の目的刑論ですが、犯罪に対して重い刑罰を科すことで犯罪が抑止される、という一般論はうなずくことができます。

しかし、現在の多くの国民は、「実際に起きた犯罪に対して科せられる刑罰が重かったからと言って、じゃあ自分は犯罪をしないでおこう」、という意識を常に抱いているかと言えば疑問です。凶悪犯罪を犯す犯罪者は、善良な市民である自分とは違う領域にいると考える人が多いと思います。むしろ、凶悪犯罪を犯す人は、刑罰を意に介さないからこそそのような犯罪を犯すことができるとも言えます。一方で、厳罰化が進む飲酒運転や交通事故においては、誰もが加害者(犯罪者)になり得ることから、ある程度の抑止効果は期待できるのでないかと思います。

特別予防論はわかりやすいです。加害者本人にきつい刑罰をくらわせれば二度と犯罪をしない、と反省する機会にもなりますし、加害者本人が刑務所の中にいれば、少なくとも社会において犯罪を犯す可能性はなくなります。しかし、特別予防論を徹底すると、危険な人間はより長く社会から隔離すべき、という結論にも結びつきかねない危険性も孕んでいます。

 

このように刑罰とは、応報刑論、目的刑論(一般予防論特別予防論)という2つの役割を持っています。

懲役14年という加害者に対する刑罰は、その役割を果たすことができているのでしょうか?