弁護士がオワコンである理由②(弁護士業界の将来性が皆無)
弁護士がオワコンである2つ目の理由について書きたい。
それは、弁護士業界に全く将来性がない、ということです。
いや、全くというのは語弊かもしれません。
例えば、ITや人工知能(AI)といったその業界自体において将来性の見込める分野、国際取引等(仲裁制度といった渉外案件)といった特殊分野について精通した弁護士として他にはない強みを身につければ、将来においても活躍し続けられる人材になるでしょう。もっとも、それは弁護士業界全体の将来性ではなく、弁護士という資格を超えた能力を身につけることができるかどうかという属人的な要素が大きいのです。
やはり、私も含めた一般的なマチ弁(一般的な民事事件・刑事事件をこなす普通の弁護士)には、ただ弁護士として仕事を続けるという意味での弁護士業界に将来性はありません。
その理由としてまず、①法律知識を要する弁護士の需要が減少すること、さらには②弁護士が取り扱う案件数自体が減少することが挙げられます。【需要の減少】
①の根拠としては、言うまでもなくIT技術の普及です。
いまでは、法律知識のほとんどをインターネットで手に入れることができます。
一般人が法律問題で悩んだ時には、Google先生に聞けばよいのです。
わざわざ「30分5000円(税別)」を支払って弁護士先生から法律知識を教えてもらう必要はありません。
さらには、弁護士に依頼すると10万円単位でお金が飛んでいきます。
弁護士を雇って大金を費やすくらいなら、当事者同士でGoogle先生の解決策を参考にしながら、妥当な解決を模索するのが賢い生き方です。
私が法律相談を受ける際も、きちんと調べてくる相談者は私と同程度の法律知識をもっていることだって少なくありません。弁護士が必要とされるのは、Google先生では対応できない部分に限られる、ということになります(具体的には裁判の代理や実際に逮捕された人の刑事弁護等)。
②についても、技術の進歩が挙げられます。
たとえば交通事故の大半は「追突」事故です。追突事故でむち打ちになった被害者の損害賠償請求事件は、多くの弁護士が受任したことのある典型的な類型でしょう。
現在、交通事故事件は、保険会社から簡単に金銭を取得できる「お金になる仕事」であることから、多くの弁護士が獲得にやっきになっている分野です。
しかし、自動ブレーキを搭載した車両の普及によって「追突」事故はなくなっていくと思われます。
それどころか、自動運転技術の発展によって追突事故に限らず交通事故自体が減少していくでしょう。
さらには、迫り来る人口減少・地方の過疎化が弁護士取扱件数の減少に拍車をかけることになります。
人口が少なくなれば、人間同士の紛争が少なくなっていくのは当然です。
これから団塊世代が高齢化することによって相続は一時的に増えるかもしれませんが、離婚、債務整理、刑事事件といったマチ弁の取り扱う典型的な仕事は減少していく一方だと予想できます。
2点目に、弁護士数が異常に急増したことが挙げられます。
2000年に1万7126人だった弁護士数は、2015年に3万6415人と2倍以上に増加しました。
他方で、弁護士が取り扱う裁判事件や紛争が2倍以上に増えているかといえば、そんなことはないのです。
日本の人口や法律制度、紛争解決制度が大きく変わったわけでもないのに、そんなに簡単に弁護士の取扱事件が増えるはずがありません。むしろ先ほど述べた通り、弁護士需要は減っていく一方です。
結果として起きているのが、弁護士同士の仕事の奪い合いです。【供給の過剰】
アディーレ法律事務所等のテレビCMを見たことがある人は多いでしょう。そう、営業力・経営力のある法律事務所が顧客を根こそぎ奪っていくのです。
病院のCM(美容整形を除く。)、税理士事務所のCMはほとんど見ないのに、法律事務所はこぞってCMを打つまでになっています。10年前には考えられないことです。
一方で営業力のない弁護士は、法テラスの民事法律扶助業務ですら、雀の涙のような売上のために泣く泣く受任せざるを得ない悲しい現実を受け入れるほかありません。
刑事国選弁護も、その労力に比してボランティアのような報酬であるのに、その仕事を奪い合うまでになっているのです。
需要の減少と供給の過剰という負のスパイラルによって、弁護士業界は果てしなく将来性のない業界に成り下がってしまいました。
これから弁護士を目指す若者は、弁護士業界についてきちんと調べた上で、法科大学院・司法修習と言った時間的・経済的コストを費やす価値があるか否か、慎重に考えることを強くお薦めします。
法テラスという弁護士貧困化加速装置
法テラスという存在をご存じだろうか?
正式名称を日本司法支援センターといい、民事事件から刑事事件まで、法律サービス業について公的な支援を行う機関です。
この法テラスの担っている業務のうち、弁護士にとって死活問題となっているのが、「民事法律扶助業務」なのです。
民事法律扶助業務とは、簡単に言えば弁護士費用を支払うことのできない貧困層に対して弁護士費用を立て替えるという制度をいいます(立て替えた費用は生活保護受給者を除き、後に分割で返済しなければなりません)。
民事法律扶助業務がなぜ弁護士にとって死活問題になっているかというと、法テラスが独自に弁護士費用を定めており、その基準があり得ないほどに低額だからです。
たとえば、個人が自己破産を行う場合、一般的な法律事務所における着手金は20万円~40万円というのが相場です(個人的には25万円~30万円が適正価格だと考えています)。
それが法テラスの基準では、着手金は12万9600円(実費2万3000円ですが、弁護士の報酬ではない)となります。
つまり、法テラスを利用した場合、弁護士が受け取る報酬が約半分程度に抑えられるのです。
そして、離婚や相続、交通事故といったほとんどの弁護士業務において、法テラスの弁護士費用の基準は極めて低く抑えられています。
一般的に、弁護士の法律サービスに限らず、社会におけるどのような取引にも「適正相場」というものがあります。
しかし、法テラスの民事法律扶助業務における弁護士費用基準は、適正相場を完全に破壊しているのです。
百歩譲って、民事法律扶助業務によって貧困層に法律サービスを受けられるようにするという趣旨はわかります。
しかし、だからといって利用する法律サービスに対する価格を「貧困層価格」にしてよいということにはならないのではないでしょうか?
なぜなら、貧困層に対する法律サービスであれ、富裕層に対する法律サービスであれ、同様の事件を取り扱う場合には、それに要する弁護士の業務負担は全く変わらないからです。
むしろ、これは多くの弁護士が同意してくれると思いますが、法テラスの場合、貧困層である依頼者としての「質」がたちまち悪くなるのです。
依頼者の準備が遅い、弁護士に対する態度が悪い、打ち合わせの約束を守らない、といったことは、生活保護受給者をはじめとする法テラス経由の依頼者には日常茶飯事です。
当然、依頼者の質が悪いと、弁護士も余計に労力を要することになります。
さらに先ほど述べた法テラスの価格破壊の追い打ちです。
弁護士は安物を売っているのではありません。
自らの時間と精神的負担を切り売りして商売しているのです。
法テラスを利用すると、弁護士という商売自体が成立しません。
法テラスを利用すると言うことは、弁護士自らが貧困化を受け入れる事を対価とすると言っても過言ではありません。
私は以前法テラスを利用していたが、低すぎる弁護士費用と質の悪い依頼者層のコンボに辟易とし、数年前に法テラスとの契約を切りました。
法テラスとの契約を切って後悔したことは一度もありません。
いまでは、弁護士費用を払えないという相談者や面倒そうな相談者に法テラスを紹介するという「依頼を受けたくない相談者への逃げ道」という意味での利用価値があるだけです。
しかし、弁護士増員によって仕事のなくなった悲しい弁護士達が文句も言わずに法テラスのディスカウントに応じているため、法テラスは貧困層のために今後も存続し続けるでしょう。
心配なのは、低廉な価格だから適当に処理して良いと考える弁護士が出てこないか、ということです。
弁護士がオワコンである理由①(弁護士の職務内容のつまらなさ)
弁護士の仕事には発展性も面白みもありません。
似通った事件を法律・判例に基づき同じように処理するだけです。
予定調和でさくさく事件が解決すればまだ良いのですが、すぐに終わるのなら弁護士は要りません。
依頼者や相手方が感情的になっていたり、弁護士増員によって大量に生産されたできの悪い弁護士が紛争を余計にこじらせたりするので、簡単には終わらないのです。
交通事故事件の過失割合で、40%:60%で相手が悪いとお互いに譲らない(お互いに相手の方が微妙に悪いといがみあっているw五分五分でいいやん)。
離婚事件で自分のことを棚に上げて、相手の欠点をののしり合っている。
多くの弁護士は、そういったレベルの低い一般人の紛争に、仕事だからと自分を言い聞かせて飛び込んでいくのです。
また、刑事事件でどうしようもない被告人をかばわなければなりません。
そしてネットで弁護士は極悪人を擁護する輩だ、非常識だと叩かれるのです。
どうでもいい他人の紛争に振り回されていると、人生を浪費している気持ちになります。
事件が解決したときに達成感などはありません。
結局、他人のマイナス(紛争を抱えた状態)をゼロにしただけなのです。
解決までの時間が長ければ長いほど、ようやく他人の紛争に関わる呪縛から解放されたと安堵感が残るだけ。
よく弁護士はやりがいのある仕事だ、と言われます。
果たして弁護士のうち、やりがいをもって生き生きと仕事をしている人間が何%いるのでしょうか?
少なくとも私は、何の関係もない他人の紛争に関わったり、犯罪者を弁護することにやりがいを見出すことは出来ません。
この仕事を続けて10年ほどになりますが、弁護士以前に一人の人間として、人の紛争に関わることなく、静かに暮らしていきたいと願うのにそれほどの時間はかかりませんでした。
弁護士はオワコン
私が弁護士になって10年余り。
社会も弁護士業界も大きく変わってしまいました。
2017年現在、弁護士業界は既にオワコンです。
未来ある若者には、余程の理由がない限り、弁護士は絶対に避けた方がよい職業だと思います。
私自身、終わり行く弁護士業界にも、弁護士の仕事にも辟易としています。
いまの弁護士業界を眺めつつ、法律に関するトピックを自分の目線で考えていこうと思っています。